皆さん、おはようございます!
『東岡崎 明月』の藤原です!
「転んだ時はいつも何か拾え」
アメリカの医師、分子生物学、免疫化学の創始者、オズワルド・アベリーの言葉です。
僕は三歳の時、階段から転落し、足を骨折しました。
同時にひどい喘息を患ったこともあって、呼吸もままならない状況が続き、生死を彷徨ったそうです。
その後、奇跡的に回復をしましたが、そんな状態からの外科手術だったせいで骨折した足はひどい内股になりました。
子供の頃は本当によく転びました。
いつも足に違和感があって、何かに夢中になると足がもつれていたり、踏み込む場所を誤って側溝に落ちたり。
わんぱく小僧とは違った意味で、膝に生傷の絶えない子供時代を過ごしました。
転んではヘラヘラと起き上がる僕に、親父がこっぴどく怒る時期があったのを覚えています。
「修司!転んだらただ起き上がるな!何か拾ってこい!」
まだ子供の時分、全く意味の解らない言葉です。
はじめは只々悲しかった。
転んで惨めな上に、こっぴどく叱られる。それに、何を拾えば良いのか。
擦りむいた膝を眺めながら泣いた記憶があります。
でもそこのところは子供。というのか元来馬鹿なので、石ころや全く関係ない木の枝や秋あkンを拾い上げては眺めるようになりました。考える癖がつきました。
特に何かを学んだ記憶はありませんが、修行時代、失敗を繰り返す僕に、ある上司が言いました。
「藤原。お前は転んでもタダでは起き上がらないな。」
ハッとしました。親父の言っていたことにつながった瞬間でした。
躓くと何か拾おうとするのはいつの間にか習慣化されていたわけです。
大人になった今でも、正直よく道で蹴躓いています。
手を着いて転ぶことは、おかげさまで少なくはなりましたが、笑いながら頭の中ではいつも何か拾っています。意味のないものばかりです。
でも多くの場合、そこには平坦に見えても原因があるのものです。
平坦に見えた道と、僕の歩き方です。
少し長くなってしまいました!
( ̄▽+ ̄*)
ってなわけで、本日も張り切ってすっ転んでおります!
(o^-‘)b
イェイ!