「姿」の中には

皆さん、こんにちは!

『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!

 

 

今日はこんなお話から。

 

*+☆+*――*+☆+*――*+☆+*

 

ジョン・マックマスターは高校時代、

バスケットボールのヒーローでした。

高校三年間をとおしてリーグの代表選手であり、

全米代表選手にも選ばれました。

最終シーズンには、リーグの最優秀選手に選ばれました。

ジョンのおかあさんは、必ず息子の試合を見に来ました。

たとえどんなに遠い所でも、どんなに天気が悪くても、必ずやってきたのです。

いつも野外席でジョンを応援していました。

ジョンのおかあさんは、全盲だったのです。

なぜ、おかあさんは試合を見に来たのでしょうか。

おかあさんには、ジョンの姿は見えませんでした。

けれども、ジョンにはおかあさんの姿が見えたのです。

ジョンは、どれほどおかあさんの姿に励まされたことでしょう。

~~~

出典

[明日、きっといいことがある]

ダン クラーク 著

講談社より

 

 

*+☆+*――*+☆+*――*+☆+*

 

何だかこの話を読んでたらグッときちゃいました。

 

『姿』という字には「女」という文字が入っています。

 

姿という文字を見ているだけで、感慨に耽ってしまいます。

 

僕の両親は僕が7歳の時に離婚して、我々兄弟は親父に育てられました。

 

親父が特に母を悪く言うことはありませんでしたが、僕の心の中では捨てられた思いでした。

 

見捨てられた子。

愛のない子。

本当は存在しないはずの子。

 

思春期の頃はそんな想いに悩まされ、恋愛をしてもどこ何抜け落ちたものをわざわざ探すような感じでいました。

 

18歳の頃、姉から母に合わないかと打診されました。

 

僕は答えませんでした。

その代わり、母へ手紙を書きました。怒りの手紙です。

自分を捨てたことや怒りを思うままにぶつけた手紙。

その恨み節は母の出身地についてまでに及んでいました。

 

後日返事が来ました。

母からの謝罪の手紙でした。

穴が開くほど読み返し、愛おしく抱きしめたい気持ちとは裏腹に、結局破って捨てました。

 

20歳の時、自分から母に連絡を取りました。

僕が母に会おうと思ったのは、情けないことに抱えてしまった金銭トラブルを押し付けるためでした。

 

母には目に涙を湛えながら、助けてあげたいけど今はお金がないのだと誤り通されました。

 

僕は母をさらに幻滅し、ふてくされて、母が見栄を張ったであろう寿司屋のカウンターで一緒に食事をしました。

 

母は僕が18の時に送った例の手紙を出し、さらに謝罪しました。

そしてこれまでのことについて話し始めました。

でもその話は母のことというより、僕のことばかりでした。

驚いたことに、母はこれまでの僕のことを驚くほど詳細に知っていました。

 

母の実家は高知県です。

でも離婚後母は呼び寄せる身内の声には耳を貸さず、いつでも子どもたちに会いに行ける愛知県に留まることに決めたそうです。

そればかりか、遠くから子供たちの様子を見ていたとのことでした。

もちろん、僕がアルバイトをしたお店のことも、働きぶりも遠くから見ていたと話しだしました。

 

 

僕はトラブルを母に押し付けようとした自分が恥ずかしくなりました。

意味もなく恨み、自分だけを必死に慰めていました。

でもおかしなことに、その怒りとは裏腹に、僕は遠くから僕を見守る母親をいつもずっと夢想してきていました。

 

事実、母は僕を見守っていてくれたのでした。

 

「姿」という文字を見るにつけ、僕は母の姿を想います。

もしかしたら、僕は母の、僕を見守る視線を感じていたのかもしれない。

 

本当は捨てられてもいないし、愛がないわけでも、存在してはいけなかったわけでもない。

 

 

今も一年に一回だけ、母親に会いに行く。

いまだにどう接してよいのやら、かなり他人行儀ではあるが、娘も連れて会いに行く。

なぜか毎回寿司屋に行って僕がご馳走する。

回転寿司だけど。(笑)

 

「姿」という字には女という文字が入っている。

母親のような心で、あらゆる姿をとらえなくては、また自分自身の姿にもそのような心を持たなくてはと、ここのところ自分自身に言い聞かせている。

 

 

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ってなわけで、本日もギンギンに張り切っているわけですよ!

(o^-’)b

イェイ!

ピンク色のカマボコ

 皆さん、こんいちは!
 『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!
 今日はネットで見つけたこんなお話から。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
『ピンク色のカマボコ』
私が小学1年生の時に事故で両親が死に、それ以来おじいちゃんと2人で暮らしていた。
おじいちゃんは料理などできなかったけれど、私のために毎日質素ながらご飯を作ってくれた。
ご飯と納豆、とかご飯と缶詰め、とか。
そして食卓にはいつもカマボコが2~3切れ置いてあった。
カマボコは必ず毎日食卓にあった。私はカマボコがおじいちゃんの好物だと思っていた。
中学生になり、私が食事の用意をするようになっても、必ずカマボコを2~3切れ食卓に出し続け
た。
4年前、おじいちゃんが亡くなった時、霊前にカマボコを供えた。
おじいちゃんの好物だと思っていたから。
叔母さん(父の姉、おじいちゃんの長女)に「おじいちゃんカマボコ大好きだったから…」
と言うと「違うんだよ」と言われた。
「違うんだよ。あの人は子供が喜ぶ料理なんてつくれないから困ってたんだよ。」
「カマボコはピンク色だから、女の子が喜ぶと思っていつもカマボコを用意してたんだよ。」
その他にも、両親が死んで叔母さんが私をひきとると申し出た時
おじいちゃんが「俺が育てる」と言って私を離さなかった事などを聞いた。
おじいちゃんはいつもしかめっ面で寡黙でちょっとこわい人だった。
でも両親がいなくなった私に寂しい思いをさせないように一生懸命だった。
参観日に死んだお父さんの服を着て来てくれたこともあった。(サイズ合ってない)
ハンバーグが食べたいと言ったときに挽き肉を丸めて焼いただけのものが出てきたこともあった。
口にも態度にも出さなかったけど、おじいちゃんはすごく一生懸命に私を育ててくれた。

ピンク色のカマボコを見るとおじいちゃんを思って切なくなる。
もちろん今でもお仏壇にお供えする品には、必ずカマボコをそえています。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 グッときちゃいますよね。
 武骨で生真面目なおじいちゃんが温かくて、可愛いですよね。
 食べ物っていうのは、色々な思いを繋げるものです。
 代表的なのは、我が家のカレーですかね?
 うちは当時でもかなり珍しい父子家庭だったので、料理では美味しい思い出よりもおいしくなかった思い出の方が多いかも。
 親父が茶碗蒸しが作りたくて、豆腐を崩して蒸したとか、
 庭のドクダミを天ぷらにして皆がおなか壊したりとか、
 何にでも隠し味で蜂蜜を入れるとか、、、、
 そんなおいしくない思い出も、必ずそこに笑顔があった。
 次の日の朝ごはんのひとつにと、毎晩ヨーグルトかゼリーを買ってくる。
 一日でも食べないとどんどん増えてくる。
 何せ兄弟が三人なので、誰か食べないと増えてしまう。
 僕の親父もまた不器用な人だった。
 でも子供を想うことにかけては、家族を想うことにかけては人一倍強い想いのある人だった。
 自身が早くに両親を亡くしたり、里子に出された経験があるからだ。
 そんな親父の作る食卓が今にして思えば、愛しく思う。
 おかげさまで、ヨーグルトも大好きだ。
 ってなわけで、本日は花の金曜日!
 張り切っているしだいですよ!
(o^-‘)b
イェイ!

変化する経済の荒波と、セピア色の少年時代!

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 明月』の藤原です!

 さて、皆さんはご兄弟と仲は良いですか?

 ちなみに僕は、弟とチョー仲良しです!

ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ

 たぶん僕がかなり素敵な兄なんでしょうね。

 慕われているんです。確実に。

 神奈川と愛知で離れて暮らしてはいますが、よく一緒に酒を飲みます。

 家内同士も仲良しさんです。

 そんなチョー仲良しな弟と酒を飲みながら、今でもよくする昔話。

 僕は小学五年生。弟は小学一年生。

 昭和中後期を岡崎で過ごされた方にはおなじみの玩具屋さん。

 シビコ1Fの『ダックス』。

 そこで僕は見つけてしまうわけです。

 不思議な縫い目の入ったスポンジ・ボール。

 その名も『変化球王』!

 これ凄いんです。

 縫い目を工夫すると、さまざまな変化球が自由自在!

 即購入!

 早速家に帰り、弟の前で披露。

 カーブ投げ。シュート投げ。フォークボールもお手の物。

 弟は目をキラキラと輝かせます。

 僕は簡単にはボールを弟に貸しません。

 壁に向かってドンドン変化球を投げ続けます。

 そろそろかな?

 というのは、僕が飽きはじめ、弟が猛烈に欲しくなるタイミング。

 「これ売ってあげるよ。本当は3千円だけど、僕遊んじゃったから2千円」

 弟は節約家で、お金はちゃんと貯金しています。

 でも野球大好き。

 僕は弟にボールを握らせて、投げてみるように促す。

 ボールはみごと変化をつけ、壁にぶつかる。

 僕はボールを拾い上げ、要らないなら別に良いよとまた壁に向かって楽しげに投げる。

 二千円を握り締めた弟は嬉しそうに僕からボールを受け取る。

( ´艸`)ぷぷぷ!

 で後日、弟は『ダックス』で発見してしまうわけです。

 『変化球王・300円』

 今でも怒っています。

 ほろ苦い、少年時代のエピソードです。

 ごめんね。

 お兄ちゃんは悪気だらけだったんだ。

 あの当時、お兄ちゃんは毎月のお小遣いが1週間で消えてしまうという難病を抱えていたんだよ。

 君から頂いた無垢な2千円はビックリマンチョコに変わったよ。

 貨幣経済って凄いね。

 ものがどんどん形や価値を変えていくんだ。

 需要と供給ってあるだろ?

 僕たちは経済って云う荒波にもまれながら、何を握り締めているんだろうね。

 あの変化球王は、まだ僕達の心の中で、あるいは環境の中で、今だ変化し続けているんだ。

 ありがとう。

 お兄ちゃんは愛知の片隅で、今日も君との酒席を待ってるよ!

 

 <完>

 ってなわけで、本日華の金曜日!

 張り切って営業です!

(o^-‘)b

イェイ!

 今でもチョー仲良しだよね~♪

ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ

給食ドリーム!

 皆さん、こんばんは!
 『東岡崎 明月』の藤原です!
 今日はコックリしていません。
 でも眠たいです!
( °д°)
 小学生の頃、4時間目の授業中に眠り込んでしまいました。
 この授業が終われば給食!
 でも眠気が勝ったんです。
 おなか空いたけど眠たい。
 でも眠りにはすごいシステムが!
( ̄∇ ̄+)
 そう、夢!
 おなかが空いた僕の夢は給食の夢。
 配膳を待っている僕。
 トレーを取り、いつものように水滴を払う。
 トレー容器の端にトレーを打ち付けて水滴を払う。
 バンバンバンバン!
 でも実際の僕は、机に突っ伏したまま、両手で机をバンバンバンバン!
 そりゃ先生だって怒ります!
 「藤原ーーーーーーーっ!」
ヽ(`Д´)ノ
 はい!今日は夜の更新できました!
(・ω・)/
 ってなわけで、皆さん今日も一日お疲れ様でした!
 おやすみなさいませ!
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

憧れは小5まで!

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 明月』の藤原です!

 今朝早くにすごいニュースが飛び込んできましたね!

 『プリントゴッコ事業完全終了』

(゚ーÅ)

 懐かしいですね。

 家庭用印刷機!

 欲しかったです!

 でも買えないから、変なシールをハガキに焼き付ける機械で年賀状書いてました!

 同級生はプリントゴッコを使って、オシャレで、絵なんていろんな色でウニャウニャウニャってなった年賀状を送ってきて、羨ましかった!

東岡崎 豚もつ鍋屋の社長ブログ-こんな風に色がウニャウニャってグラデーション

 こんな風に色がウニャウニャってグラデーションで!

 うらまやしかった。。。。

東岡崎 豚もつ鍋屋の社長ブログ-憧れのプリントゴッコ

 憧れのプリントゴッコ!

 で、僕諦めました。

 小学五年生で、諦めました。

 年賀状諦めました。

 書くの止めちゃった。。。

(ノ_・。)

 オレ小5だけど、卒業します。。。

 すみません。それ以来、年賀状書いていません。

( ・(ェ)・)・・・・。

 台風すごいですね。

 4階事務所が風に揺れています。

 この後の被害が最小限に済む事を願いつつ、本日も張り切って営業です!

(o^-‘)b

イェイ!

 

入社一ヶ月目は理屈抜きで頑張る!

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 豚もつ鍋 明月』の藤原です!

 ゴールデンウイーク前日ですね。

 この時期いつも思い出します。

 就職一年目。つまり修行一年目です。

 僕は滋賀県にあるホテルの洋食調理科2Fメイン厨房に配属でした。

 名刺の肩書きは「顧客管理部門洋食調理科」。

 メイン厨房とはいっても、宴会担当。

 スカイレストランのような花形ではありませんでした。

 リゾートホテルなので、ゴールデンウイーク期間中は初めて経験する繁忙期。

 入社一ヶ月で地獄の忙しさを体験するわけです。

 朝四時から朝食バイキングの仕込みに始まり、レストランのクローズの夜の九時まで休憩殆どなく使いっパシリとして、文字通り走り回り、上司が帰宅した時間に厨房に戻り、やっと自分の仕事をこなし、夜中1時に帰宅という生活。

 仕事ができないといえば、以降仕事をもらえなくなるので、毎日必死!

 最強のイエスマンを目指していました。

 でもひと月で糸がいったん切れるんです。

 ぷつ~~~~ん。

(*_*)

 自分の部屋に戻り、段ボール箱を取り出して荷造り。

 夜中にバタバタしている僕の部屋を、先輩が覗きに来ました。

 『藤原何してんねん!』

 『荷造りです。もう辞めます。疲れました』

 『何言ってんねん!』

 それから先輩は、僕から悩みを聞きだし、丁寧に頷いてくれました。

 仕事の過酷さ。方言の違いによる意思の疎通の不具合。上司との人間関係。

 今にして思えば、甘ちゃんの極み。

 でも先輩は一向に否定せず、僕にすべて吐き出させました。

 「藤原。よう分かったわ。俺も経験したことや。でもな、一つだけ俺の願いを聞いてくれ。どんな不満があってもいい。嫌でもいい。しんどくても何でもいい。どんな理屈でもええから、とりあえず三ヶ月続けてくれ。俺からのお願いや。」

 そこまで言われると、なんとも答えようが無かった。

 ただただ子供じみて見えるのは自分だけ。

「分かりました。ありがとうございます。何も考えません。理屈ぬきで、三ヶ月だけ走ってみます」

 もちろん三ヶ月以上走りましたよ。

 でもあの言葉が無かったら、ものの一ヶ月で辞めてました。

 僕はそれから寝る間も惜しんで勉強しましたよ。

 今までのスケジュールにプラス、迷惑ながら毎晩缶ビールを持って先輩の部屋に押しかけ、その日にメモった料理用語、フランス語、次の日の段取りを飲みながら聞きだしました。

 三ヶ月で、同期の子を従えて朝食バイキングを仕切るという快挙を成し遂げたのでした!

(・ω・)/

我ながら頑張った!

 今の僕にできること!

 もっともっと『明月』を良い店にして、先輩を招待したいです。

 恩返しです。

 さあ、そんなこんなな時期!

 今日は休日前の大盛り上がりです!

 明月は元気にはりきって営業です!

(o^-‘)b

イェイ!

東岡崎 豚もつ鍋屋の社長ブログ

聞き上手で成長率UP!

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 豚もつ鍋 明月』の藤原です!

 「仕事は見て覚えろ!」

 僕の修行時代はこんなこと言われてました。

 でも僕はそう言われる度に違和感覚えてました。

 もちろん見て覚えます。

 でも説明してくれたらもっと早いのに・・・。

 要は、見て、考えて、身にしなさいって教えなんですけどね。

 ってなわけで、僕は見て覚えるだけではなく、聞きました。

 聞いて、聞いて、聞きまくりました。

 でも聞きまくるとまた叱られるんです!

 だから聞く技術を高めるわけです!

 たとえば、聞くタイミングを考える。キャラを聞いてもいいキャラに作り変える。

 聞いた後は、先輩が気持ちよくなるような言葉を返す。

 お礼はよく言う。時々何気なくプレゼントをする。

 見るだけでなく、聞くと、仕事を覚えるスピードは二倍です!

 それどころか、仕事を教えてくれる先輩は、僕の覚えた仕事に対して後押ししてくれるわけです!

 成長率は5倍以上!

 昔と違って、今は世の中のスピードが速くなっています。

 見て覚えるだけでは、置いて行かれます。

 聞ける体制を作るということは、検索エンジンをたくさん持つということです。

 でも気を付けなくてはいけないのは、聞く相手を選ぶこと。

 そいて、聞いたときには必ず恩返しすること。

 世間には何も聞かずに仕事をしたほうが仕事ができると思われると思い込んでる人が結構多いですよね。

 聞き上手になって、ドンドン成長しちゃいましょう!

 実は僕、結構聞き上手なんです!

(°∀°)b

 さて、本日の東岡崎もポカポカ陽気です!

 明月はお花見気分で営業中です!

(o^-‘)b

イェイ!

東岡崎 豚もつ鍋屋の社長ブログ

親思う心に勝る親心!まじめに語ってしまって、ちょっぴり恥ずかしい昼下がり!

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 豚もつ鍋 明月』の藤原です!

 ネットで感動話に出会って、朝から泣いてました。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


[娘の嫁いだ日]
私には、一人娘がいます。
娘が一歳半の時に離婚して、女手ひとつで娘を育ててきました。
別れた夫とは音信不通で、
娘にとって父親の存在は全く無いものでした。
私が勤めているので、仕事から帰ってきて
ひとりぼっちの状態を作らないように
毎日、いろんな習い事に通わせ
仕事帰りに娘を迎えに行く日々を過ごしました。
幸いにも仕事があったので、奨学金のお世話になりながら
何とか娘の希望通り、東京の大学にあげる事もできました。
そして、東京で就職も決まり
娘も年頃になり、素敵な男性とお付き合いするようになりました。
ご縁あり、昨年
めでたく二人は、挙式の運びとなりました。
娘は、一歳半から女手ひとつで26年間
私に育てられ、片親で育った事に対して
泣き事も、愚痴も、不平も、激怒も・・・
一切私に向けてきませんでした。
そんな、娘が披露宴の準備の時に。。。
「お母さん…
私の結婚式に
お父さん…呼んでも…いいかな…!?」
予期せぬ、娘の言葉に一瞬、息をのみ…
「…貴女の、結婚式じゃない。
・・・貴女が一番呼びたい人を呼んだらいいんじゃない?
お母さんは、貴女が幸せになるのを
貴女が見てほしいと思う人を呼んだら
いいと思うよ。
でも、お父さんは・・・
来たくても…多分、来られないかもしれない…
それで、貴女の心が傷つかなければいいけど…」
精一杯な私の
娘への言葉でした。
娘は、
「大丈夫!お父さんに…私、手紙書くから…
お母さん…ありがとう…」
泣いていました。
私は、26年間、娘が心の中に閉じ込めておいた父親への想いを知り
私を悲しませたくなく、口にできなかった事に、
申し訳ない想いでいっぱいで
よく勇気を出して、私に言ってくれたと、胸が熱くなりました。
娘は、自分の想いを託し…父親に手紙を書いて
結婚招待状を送りました…。
私は…、別れた夫は、顔出しできる訳がない…
どの面下げて、出てこれるのよ…
来れる訳ないのに…
娘が不敏になり、「いいよ…」と答えた自分を責めました。
娘から…電話がきました。
娘は、泣きじゃくってます・・・。
後悔の念が私を、襲いました。。。
娘が、泣きじゃくって、言葉を発しました。
「お父さん…
結婚式に出席しますって
ハガキきたよ!!」
一瞬、心臓が止まったような気がしました。
驚きました。
よかった…と、思いました。
…よかったね! 笑顔で「よかったね」と言ってる、素直な自分がいました。
どの面下げて、出て来れるんだ!の想いがあった私…だけど
別れた夫は、どの面を下げてでも
娘の気持に応えてくれたんだ。
断る勇気より、出席する勇気の方がどれほどのものか…
素直に、そう思える私がいました。
結婚式当日は、娘の満面の笑顔の中で
別れた夫と共に、26年間の空白を感じる事もなく
みんな笑顔で祝福する事が出来ました。
別れた夫から
何度も…ありがとう、ありがとうの言葉…
無事に挙式を終えて
別れた夫からの
「ありがとう…ありがとう…ありがとう…」
何度も言われた、
ありがとう…の…言葉… ありがとう…の言葉が脳裏を駆け巡り…
私が、娘を一生懸命、一人で育ててきた26年間の苦労は…
学校帰り、大好きな、習い事したいって…
頑張ってお金もきつかったけど、通わせて…
どんなに疲れてても…仕事終えて、笑って迎えに行った日々…
なのに……ありがとう…ありがとう…ありがとう…で、
そんな簡単な事じゃなかった…
涙が溢れ…
涙が流れ… 泣きながら…
ふと…
そうだ…別れた夫は…娘の気持に応えて、結婚式に来てくれた…
私は、愛する娘といつも一緒で、
いつでも会えたんだ…
別れた夫は…会いたくても…会いたくても…会いたくても26年間…
会えなかったんだ…
…私がそうさせてしまったんだ…
全ては…私なんだ…
私が娘と過ごした26年間より
娘に会いたくても…会いたくても…会えなかった26年間の方が、どんなに辛かっ
ただろうか…
それに気づいた瞬間…すーっと、心が軽くなってた私がいました…
人は、許す心で、自分の愚かさを知り…
自分の愚かさを知る事により
相手の大きさを知る事もある…
全てに感謝…
素敵な娘に、ありがとう…
娘の父親…別れた夫にも…
ありがとう…
ありがとう…ありがとう…
北海道の母より



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



 僕も小さいころに両親が離婚して、父親に育ててもらいました。


 二十歳の頃に、勇気を出して母と連絡を取りました。


 久しぶりに会った母には、手紙を渡しました。

 

 十数年ぶりに会った母に、面と向かって言う自信がなかったからです。

 

 手紙に中身は、稚拙な思いです。


 これまで如何に寂しかったか。どんな思いで母を頭の中から消し去ったか。


 そんなことばかり勝手に書きなぐった乱暴で稚拙な思いでした。



 三十六歳になった今でも、母とは年に何度か会います。

 

 何処かに出かけた折、ふと母のバックに目をやると、あの時の手紙が忍ばせてありました。


 乱暴に書きなぐった稚拙な手紙。


 そんな手紙でも折り目正しく、母は持ち歩いていたんです。



 今、子を持つ一人の父親として、子供と会えないことの辛さが解るような気がします。

 それがたとえ身勝手な離婚だとしても。


 朝から泣いてしまいました。


 でももう泣きません!


:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


 営業時間が近いから!



( ・(ェ)・)・・・・。




 ってなわけで、華の金曜日!

 娘を持つ一人の親として!

 本日も頑張って、笑顔で営業です!

(o^-‘)b

イェイ!



東岡崎 もつ鍋屋の社長ブログ

父ちゃん今日も頑張るよ!

センチメンタルナイツ!

 皆さん、こんばんは。

 うちの親父。

 

 実は元釘師なんですよね。

 で、帰ってくるのはパチンコ屋の掃除が終わるその後だから、夜中の十二時過ぎ。

 まだ小学生の僕はそれでも帰りを待ってたりした。

 親父が玄関を開けると、まるで今目が覚めたみたいな顔して、お腹が空いたとせがむ。

 親父はニコニコしながら、『もう寝なさい』なんて言う。

 でも結局は僕と犬を連れて散歩に出かける。

 目的は屋台のラーメン。

 美味しいって記憶よりも、嬉しいって記憶。

 その時ばかりは、親父を独り占めしてる気分と、こっそり夜中に外出するワクワク。

 親父と会話しながら、一端の男として見られているような錯覚。

 嬉しくて、何度も何度も親父に話しかける。

 『美味しいね。美味しいね。』

 さっき更新された、マッキーのブログとハナレグミの『家族』を聴きながら、そんな記憶がよみがえってきました。

ヾ( ´ー`)

皆さん、おやすみなさい。

昔の花火。

 昨日もたくさんのお客様にご来店いただき、本当にありがとうございます。

m(_ _ )m

 乾杯ビール無料クーポンをお持ちいただくお客様も、日に日に増えてきて、従業員みんなで喜んでます!

☆-( ^-゚)v

 本日の東岡崎は、曇りです。

 はっきりしない天気ですね。

 この涼しさに、皆さんの食欲もいくらか戻ってくると良いですね!

 夏もしっかり食べなくては。

 さて、夏の思い出です。

 これまた修行時代の話。

 僕の修行していたホテルでは、ビアガーデンもやっていました。

 琵琶湖のほとりのホテルなので、ビアガーデンは本当に気持ちが良いです。

 そして、花火大会の日などは、レストランも含めてビアガーデンも大盛況。

 厨房は恐ろしくバタバタです。

 使いっパシリの僕はクタクタこの上ない。

(*´Д`)=з

 料理長は、すごく粋な方でした。

 普段はコースメニューの設計や、会議や、人との打ち合わせで、料理長室にこもりっきり。

 花火大会の日は違いました。

 厨房に顔を出すと、一人一人に声をかけてゆきます。

 僕にも例外なく声掛けしてくれました。

 「藤原、この部屋で10分休憩してこい」

 部屋の鍵を渡され、下っ端の僕の仕事を交代してくれます。

 料理長はこの日のために、一部屋リザーブして、いつでも休憩できるようにしてくれていました。

| 壁 |д・)

 部屋の前に着き、鍵を開けてビックリ!

 その部屋からは琵琶湖の花火が真正面に見えます。

 花火を真正面から見たのは初めてで、10分どころか、僕は見とれ続けてしまいました。

(  ゚ ▽ ゚ 😉

 もちろん先輩が着て僕の後頭部にピシャリ!

Σ(・ω・ノ)ノ!

 厨房に戻り、すぐに仕事に就きました。

 それでも料理長は、みんなと仕事を交代しながら、最後まで自分はその部屋に行こうとしませんでした。

 本当に粋な料理長。

 長たる者はこうでないと。

 いつかはこんな男になろう!

 p(^-^)q

 そんな風に思った夏でした。

 さてさて、本日も予約いただいてますよ!

 頑張っていきます!

(o^-‘)b

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