ミーティングからお誕生日から休日を越えて親父まで!

皆さん、こんにちは!

串焼きホルモンが旨い居酒屋『東岡崎 明月』の藤原です!

 

先週も大いに盛り上がりました!

3連休の方たちも多かったようで、木曜日からはさらにい盛り上がりが増しました!

 

土曜日はアルバイトの舞ちゃんの御親戚一同がご来店!

おばあちゃんが行ってみたいと熱望してくれた様子で、親戚の方たちがそれに呼応してくれたという経緯。

当店はなぜかアルバイトさんのご家族が良くいらっしゃってくれるんですが、

こういうのは本当に嬉しいです!

 

本当にありがとうございます!

m(__)m

 

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東岡崎居酒屋の命をめぐる物語

皆さん、こんにちは!

『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!

 

 

つい一昨日のことですよ。

 

スマホにlineからのお知らせが来ました。

 

「藤原荘六さんが新しく友達に追加されました」

 

かなりびっくりしましたよ!

 

藤原荘六さんは4年前に亡くなった父です。

 

もちろん携帯も解約済み。

 

はじめは幽霊かと思いましたが、すぐに誰か他の人がその番号を使い始めたのだと気が付きました。

 

それにしても、親父の番号を登録したままだった自分にも切なくなりました。

 

新しくラインを始めたのその人のアイコンは、高校生くらいの女の子でした。

 

もちろんコンタクトなんかはとらないですが、何だか感慨深かった。

 

全く関係のない場所で、まったく知らない人が親父の使っていた番号を継承し、きっとそこからまたいくつかのドラマを紡ぎだす。

 

僕はずっと生まれ変わりなんて信じていませんでしたが、ここ数年はあったらいいなと思っている。

 

この見ず知らずの女の子の使っている番号のように、

 

僕なんかとは全く関係のない、

 

全く知らない場所で、

 

親父のまっさらな魂も生まれ変わっていてくれたら素敵なことだと思う。

 

しばらくそんなことに想いを馳せながら、

 

あるかも知れない魂のもう一つのドラマを考え、

 

命をめぐる物語のほんの一節を静かに思い描いた。

 

親父の番号を継承した人はどんな人なのか。

 

興味はあるが探りはしない。

 

その方が世界は優しさにあふれているはずだからだ。

 

その人がどこかで巻き起こした風が、僕の指先を少しだけ揺らしたような、そんな何とも言えないこそばゆさだった。

 

誰だか存じ上げないが、幸せだったらいいなと僕は思っている。

 

そして相変わらず、親父の番号は登録したままにしておく。

 

僕はまだ甘ったれということだ。

 

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ってなわけで、本日も張り切りが止まらないわけですよ!

(o^-’)b

イェイ!

まだまだだね。

皆さん、こんにちは!

『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!

 

 

八月二十六日ですね。

 

かなり感慨深い。

 

親父が他界して丸3年です。

 

昨晩も今朝も仏壇に手を合わせながら、何だか色々考えちゃいましたよ。

 

早いような永いような何とも言い難い3年。

 

先日は当時の売り上げ見ながら涙出てきましたもん。

 

本当にキツイ夏だった。

 

売り上げは急降下の中、親父の病院へは毎日通い、娘は生まれたばかり。

 

二進も三進も行かない状態で、毎日苦しくて仕方なかった。

 

何万円もするサプリや500ml3000円くらいの奇跡の水を買い込んだり。

 

縋れるものがあればどんなものにも縋りたかった。

 

ヘロヘロに弱って、でも毎日何とか力を振り絞って、仕込みを終えて事務所に向かうと掃除をしているはずの、色々任せていた従業員が寝転がって携帯をいじってった。

 

自分の不甲斐なさに怒りも無くて、只々情けなかった。

 

家内も初めての育児と親父の世話とで疲弊しまくってた。

 

でもそんな中で、ある人に言われた言葉には本当に救われた。

 

「君が後悔しないことが最も大切なことだ。親父さんの事はとにかく君が後悔しないように何でもやりなさい」

 

人には己の力ではどうにもならないことがある。

 

その時初めてそれを学んで、事の中心に確りと自分を置くことを考えた。

 

毎日親父に会う。サプリも水も買う。馬鹿げたこともとにかくやる。

 

結局親父はサプリも水も飲んでなかったけど。

親父が一番落ち着いてた。

 

あれから3年経った。

おかげさまで店の方は何とかなっている。

 

本当にたくさんの人に支えられながら、何とかやっている。

 

事の中心に自分を置くことは、他責ではなく自責で生きること。

 

いつも仏壇に手を合わせながら、親父に自慢することばかり考えている。

 

どうだ親父、凄いだろ!

 

いつも、まだ、親父に褒められたいと思っている。

 

今朝方も病室で握りしめた親父の手の感触を思い出していた。

 

親父をライバル視する自分と、甘えている自分が今でも心の中で共存している。

 

まだまだ思い出せる。

 

不思議だね。

 

ちゃんと親父越えしないとね。

 

どうだ!って言わないとね。

 

それが一番の親孝行だね。

 

ちゃんと、皆幸せにできる男になるぜ!

 

じれったいかも知れないけど、ちゃんと上だか下だか分らないけど、どこかで見守っててよね!

 

 

ってなわけで、本日もセンチメンタルだけど張り切っているわけですよ!

(o^-’)b

イェイ!

祖父の誓い

皆さん、こんにちは!
『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!

今日はネットで見つけたいい話。

*+☆+*――*+☆+*――*+☆+*

 

[祖父の誓い]

 

三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み、医者や看護婦が顔を歪める ほどの苦痛に耐えながら死んだ。

 

体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち (伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。

 

葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。 祖父が生前用意していた物だそうだ。

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。

 

20年近く前、孫の一人が生存率20%以下の難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓った のだそうだ。

 

自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。

だから孫を助けてくれ、と願を掛けたのだそうだ。

幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。

孫の成長を見届けることができたのだから、もう思い残すことはない。

あとは神様との約束を果たすだけだ。

だから家族は悲しまないで欲しい。

自分は満足して一生を終えるのだから。

 

そう綴られていた。

 

 

孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。

祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。

その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。

もちろん、兄弟もみな泣いた。

 

うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。

 

 

*+☆+*――*+☆+*――*+☆+*

 

なんか凄いですよね。

 

神様との約束とは自分自身との約束でもある。

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目に見えない、誰にも口にしていない約束を守ることは本当に大変だと思う。

孫の成長を誰よりも強く思う気持ちが伝わってきますよね。

 

実は僕も親父が病院に運ばれてから一日も休まず事務所のトイレ掃除を続けている。

初めは縋るような思いの願掛けだった。

どんな事でもどんな形でも、誰でも良いから親父を助けて欲しかった。

何万もするサプリを買ったり、1本300円する水を買ったり、何でもいいから助けて欲しかった。

結局親父は飲んだと嘘をついてそんなもの飲んでもいなかった。

運ばれて3か月であっけなく他界した。

 

でも今でも僕は事務所のトイレ掃除を続けている。

もう願掛けではなくなっちゃたけど、何だか当時の親父との接点でもあるような気がして、トイレ掃除にしがみついている。

僕は弱さの裏付けとして縋っているんだけど、このお爺さんは凄いな~。

本当に強い。

こういうのが家族を守る強さだと思う。

 

こんな爺さんになりたいな!

 

 

ってなわけで、本日も張り切りまくっているわけですよ!

(o^-’)b

イェイ!

 

 

シリアスを気取る39歳の甘ったれ!

 皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!
 昨日は本当に風が強かったですよね。
 あまりの強風に僕でも歩けなくなっちゃうくらい。
 昼ごろ所用があって康生町にいました。
 ビルの間を吹き抜ける風はあまりにも強すぎて前に進むのも困難なほど。
 用事を済ませ、そのビルから出てくると突風に荷物が引っ張られ前を向けないくらいでした。
 すぐ横を見ると車椅子の初老の男性が道路の真ん中で動けなくなっていました。
 僕の父も晩年は車椅子生活だったので、放っておくことができず、考えるよりも先に体が動いていました。
 風が強すぎて会話が困難なほどでしたが、駆け寄って耳の傍で行き先を尋ねると図書館へ行きたいのだという。
 すぐそこなので僕が押して行きます。
 そう言って車椅子の後ろにつきました。
 強風に押し切られそうになりながら車椅子を押して行くと、また突風が。
 その時僕の足元に紙の束が落ちました。
 僕の手提げから落ちた書類だと思い、慌てて手を伸ばして抑え込みました。
 何枚かの書類は僕の手元から逃げ、風に舞いあがりました。
 風に舞いあがったのは、お札。
 瞬く間に上空まで舞い上がり、はるか遠くに飛ばされて行きました。
 手元に残った、僕の握り締めている書類は車椅子のお爺さんのもので、いくつかの書類と札束。それが薬局でもらう透明な薬袋に収められていました。
 途端に心臓が握りつぶされたように締め付けられ、涙が出るのをこらえました。
 僕の親父もいつもこうして薬袋の中に書類とお金をしまっていました。
 「すみません!」
 僕は絶叫し、近くのマンションのエントランス、風がない場所にお爺さんを移動させ、すぐにとってきますと告げて、手に握りしめた書類と札束をお爺さんの手に戻しました。
 しばらく必死に探すも、風が強すぎたためにあたりには紙ひとつ見つからない。
 近くにいたALSOKの人が一緒に探してくれました。
 「家族の方ですか?」
 「いえ、今そこを通りかかったんです。」
 「私も見ていて危ないと声を掛けようと思ったところだったんです。」
 十分くらい二人で探し回っても結局お爺さんのものらしきレシートが3枚ほどしか見つかりませんでした。
 エントランスに戻るとマンションのフロントの女性がお爺さんのケアをしていてくれました。
 僕はお爺さんに3枚のレシートを手渡し、飛んで行ってしまったお金は見つからなかったと伝えました。
 お爺さんはこの風では仕方がないですと自分に言い聞かせるみたいにひとりごちました。
 僕は何度も謝りました。
 そして強風の中もう一度車椅子を押して図書館へ行きました。
 図書館へ着くとお礼を言うおじいさん。
 僕は恥ずかしくて恥ずかしくてその場を急ぎ足に立ち去りました。
 いったい僕は何をしているのだ。
 たまらなく苦い気持ちになりました。
 結局困らせてしまっただけじゃないか。
 もう一度周辺を探し回りましたが、お金も書類も見つかりませんでした。
 僕は結果がそぐわない時、必ず自身の内面に原因を追究することにしています。
 上から目線ではなかったか。
 はじめからお礼されることを期待していなかったか。
 そのお爺さんではなく、父親の幻影にすがりたかっただけではなかったか。
 でもそれでひどく落ち込むほど僕の心の性能は良くはない。
 只々この事実を深く刻み込む。
 心にしっかりと刃を立てて事実を刻み込む。
 ここが現在の自分の立ち位置なのだ。
 ここからどうして行くのかが、つまり自分であることだ。
 自戒を込めて文章に起こす。
 もしも同じ状況が起きた時、自然にあのお爺さんに寄り添うことができるように。
 甘ったれから脱却して、親父の幻影を追わないように。
 なんていつになくシリアス気取っていますが、結局のところ張り切っているわけです!
(o^-‘)b
イェイ!

手のぬくもり

 皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!
 今日はネットで見つけたお話をシェア!
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
『私は手のかからない子供だった』
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日 遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。
父兄同伴の遠足や運動会も、友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。
私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて
「会社休んで参観日に来て。」
なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。
小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。
遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろ
を歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、先生が来て、私と手をつない
で歩いてくれた。
いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙が前がよく見えないまま学校に着いた。
作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。
友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 ほろりとしちゃいました。
 手の温もりってありますよね。
 オヤジが亡くなる半年くらい前、僕は風呂好きなオヤジを銭湯に誘いました。
 もう身体が随分悪くなっていたからオヤジは一緒に行くのを嫌がりました。
 でも僕がついてるからと言って、無理やりに連れ出しました。
 脱衣所ではさすがに、断固として自分で服を脱ぐと聞かなかった。
 僕は先に湯船で待っていたけど、あまりに遅いので結局迎えに行った。
 ちょうど脱ぎ終えた頃で、僕は恥ずかしがるオヤジの手を取り、湯船までエスコートした。
 本当に久しぶりに握ったオヤジの手だった。
 子供の頃はあんなに大きく、固く、強い手だったのが、小さく、柔らかく優しい手になっていた。
 湯船を渡り歩くあいだも、ずっとオヤジの手を握ってエスコートした。
 オヤジは何度も恥ずかしがったが、僕はもう子供に戻った気分でもあった。
 オヤジの手を取り、エスコートしている風を気取っても、実は甘えてオヤジの手にすがっているのは僕の方だった。
 翌日店のカウンターで嬉しそうにお客さんとオヤジが話をしていた。
 「息子の手を握ったのなんて何十年ぶりだろう」
 酒で頬を赤らめながら自慢げに話していた。
 オヤジが入院してからも、僕は毎日オヤジの手を握った。
 「握力ついたか見てやるよ」
 なんて言い訳じみながら、毎日オヤジの手を握るのが楽しみだった。
 オヤジもそれが嬉しかったみたいで、もう抵抗もせず、毎日力いっぱい僕の手を握った。
 すでにか細く、力なんて殆ど無い手だった。
 でもちゃんと温かかった。
 それだけで、いつも嬉しかった。
 オヤジの訃報に駆けつけてからも、僕はオヤジの手をずっと握っていた。
 命がこぼれ落ちるみたいに、温度を失ってゆくオヤジの手を、まるで蝋でできたみたいに硬くなってゆくオヤジの手をずっと握り続けた。
 なぜかいつも思い出すのは、若く力強いオヤジの手じゃなくて、汀の頃の柔らかいオヤジの手だ。
 おそらく、本当の意味で、温もりに縋ったのはその頃のオヤジの手だったかもしれない。
 今、僕は娘の手握っている。
 娘が眠りに就いている時、こっそり、優しく握り締める。

 小さいけど命に溢れ、可能性のある真っ赤な手。
 おそらく昔から、こうやって繋がれてきた温もりがあるのだと思う。
 いつまで握っていられるのかは分からないけれど、オヤジから受け継いだこの温もりを、娘に繋いで行けたら良いと思っている。
 なんて、またおセンチになっちゃった!
(/ω\)きゃ!
 ってなわけで、本日花の金曜日も力の限り張り切っているわけですよ!
(o^-‘)b
イェイ!

姿勢を継いで行くこと

 皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 明月』の藤原です!
 今日は素敵なお話をシェア!
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
 「鳶職の父」
公用でM高校へ出かけたある日のことだった。
校長先生が、私達を呼び止められて、
「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」
と言われ、校長室に案内された。
「実はある生徒の作文ですが・・」
とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。
「僕の父親の職業は鳶職である・・・」という書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。
「父親の休日は定まっていなかった。
雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。
仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、
庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。
僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。
小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。
(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。
たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。
母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。
『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。
『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』
『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、
父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。
小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。
運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。
こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。
ある日、名古屋へ遊びに出かけた。
ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。
僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。
8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。
僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。
(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。
一つ違えば下は地獄だ。
女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)
僕は体が震えてきた。
8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた」
校長は少し涙声で読み続けた。
「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。
母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。
一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。
僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。
体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。
何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。
どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」
そして彼は最後にこう書き結んでいる。
「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、
日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、
今日限りこんな夢は捨てる。
これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、
そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。
$東岡崎 明月の社長ブログ
読み終わった校長は、
「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。
こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。
そして子の親としてつくづく考えさせられました」としみじみ言った。
差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
[心に残るとっておきの話]第5集
潮文社より
 泣いちゃいました。
 
 素直で崇高な心ですね。
 僕は子供の頃から父親の職場を自由に出入りできる環境でした。
 居酒屋の父の横で一緒にネギマを刺したり、
 パチンコ屋の釘師だった頃は、親父の横でパチンコ玉拾ったり。
 今は娘が同じ環境で育っています。
 親父がしていたように、愚痴など言わず、黙々と背中を見せていきたいですね。
 居酒屋を継ぐとかそういうのではなく、仕事に対する姿勢を継いでくれたらどんなに幸せだろう。
 ちなみに僕は親父にたくさん反発しました。
 反発して反発して、結局居酒屋をしています!
 それもかなり楽しんで!
(*゚ー゚)ゞ
 少しは仕事に対する姿勢を継げているのかどうか・・・
 ってなわけで、本日も楽しんで張り切っているわけであります!
(o^-‘)b
イェイ!

親と子と。

 皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 明月』の藤原です!
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
「手紙ー親愛なる子どもたちへ」
年老いた私がある日
今までの私と違ったとして
どうか そのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れてもあなたにいろんな事を教えたように見守って欲しい
あなたと話す時
同じ話を何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなづいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末はいつも同じでも
私の心を平和にしてくれた悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に
私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのを嫌がるときには
思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った
懐かしい日々のことを
悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り
飲み込むことさえも出来なくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がることさえ出来なくなったら
あなたが、か弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
きっと それだけで
それだけで
私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ 付き添って欲しい
あなたが生まれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子どもたちへ
愛する子どもたちへ
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
 先日の日曜日、親父の一周忌を追えて改めてこの詩を読んでいます。
 やはり泣いてしまいました。
 去年のちょうど今時分。
 呑みこむ動作も困難になり、食欲も急激に落ちてきた親父にと、親父の故郷の長野の生坂村に出かけ、親父が子供の頃遊んだかわらの石と、その土地の水と牛乳を買ってきました。
 すぐに病室へ出向き、河原の石を握らせると無邪気に親父が笑う。
 牛乳が飲みたいと言い、看護師さんに瓶を渡すと、彼女は息子さんやってみますかと僕に向かって言った。
 たぶんこれが初めて親父の口に僕が運んだスプーンだ。
 とろみをつけた牛乳をスプーンで掬って親父の口に運ぶ。
 せっかちな僕は次々に運んでしまう。
 早いよ。
 親父は困ったとも嬉しいともとれる、ゆがんだ笑顔で答える。
 時々どうしようもなく会いたくなる。
 声を聞きたくなる。
 思っちゃいけないけど、あの頃に戻りたいと思ってしまう。
 昨日ご来店してくださった母子。
 何だか素敵な感じでした。
 カウンターに並ぶ距離感や会話。
 お母さんは娘に言っていました。
 私の枠を超えて欲しい、と。
 これってすごいと思う。
 普通は親が嫌がることですよ。自分の範疇を超えられるのは怖い(心配)から。
 でもそれでは大きくはなれない。
 よく居ますよね。
 自分の枠に収めて育てたくせに、どうしてあなたは何も出来ないの。
 亡くなる前、親父は周りの人に僕の行く末を頼んでいたそうです。
 僕もまだまだ越えられてないみたいです。
 男子、両手両足突っ張って、意気揚々央道を行かねば!
 ゆかちゃん、ありがとう。
 貴方たち親子には、毎回すごく素敵なものを頂いています。
 三回忌の時には、どうだ親父!って幹事の報告をする予定です!
 ちょっと長くなってしまいましたが、
 ってなわけで、本日も張り切って、張り切って参りましょー!
(o^-‘)b
イェイ!

姪からのお供え。

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 明月』の藤原です!

 今日は少し長めのブログになりそうです。

 お時間ある時にでも、ゆっくり読んでみてください。

 先日、お彼岸のお参りに姉と姪が素敵なものを持ってきてくれました。

 僕がバタバタしていたせいで、父のお仏壇に手を合わせに来られなかったからです。

 姉はお線香。

 姪が渡しに来たのは、文集。

 お爺ちゃんのことを書いたら、文集岡崎に掲載されたとのこと。

 お爺ちゃんにも読んで欲しいから。

 今度6年生に進級する姪が照れながら僕にくれました。

 姉と姪を見送ったあと、4階事務所で早速文集を開きました。

 目当てのページには可愛い付箋が付けられていました。

 以降、姪の作文より。



 『届けじいちゃんへ、太このひびき』

 

 今年の夏は、わたしにとってかすれられない夏になり

ました。


 それは、大好きだったじいちゃんが、病気で死

んでしまったからです。


 信じられない気持ちと、悲しい気持ちでいっぱいになったけれど、わたしは最後にじい

ちゃんにプレゼントができました。


 わたしは、今年のおぼんの二日間、町内のぼんおどりで太こをたたきました。七月の終わり、子ども会の回らん板で「上里ぼんおどり太こメンバーぼ集」という回らんが回ってきました。

   中略

 最初は、全然やるつもりがありませんでした。


 次の日、同じ町内の友達から電話がありました。


「ひかり。太こやってみない。ひかりといっしょにやっ

 てみたい。」


と言われました。わたしは、今までやったことがないことにちょう戦するのは苦手だったし、一人だと不安になってしまうので、すごく迷っていました。


でも、仲のいい友達がいっしょならやってみようと思いました。


   中略


 太この練習が始まりました。


大きなばちで太こをたたいてみたら、


「ドーン。」


と思った以上に大きな音が出て、体中に音がひびきました。


これが初めて聞く、太この音でした。


太この音ってかっこいいなあと感じました。



   中略


 でも、実際に練習を始めてみると、思つか以上にむずかしかったです。


ばちをにぎるのもなれていなくて、手に豆がいっぱいできてしまいました。


かたやせ中も筋肉つうになってしまいました。


太こって体力がいるんだなあ、大変だなあと思いました。


   中略



 わたしのじいちゃんは、六月からずっと体の調子をくずして、入院しています。


じいちゃんは、いつもわたしの話をにこにこして聞いてくれます。


 「じいちゃん。ひかり、上里のぼんおどりで太こをたた くことになったよ。」


と言うと、


 「がんばれよ。」


といつもの笑顔で応えんしてくれます。


じいちゃんの



 「がんばれよ。」


は、いつもわたしの心を明るくして、元気にしてくれます。


 「じいちゃん、ぼんおどり、見にきてくれる。」


とききました。


でもじいちゃんは、



 「行けないなあ。」


と元気がなく、悲しそうな顔で答えました。


そのじいちゃんの声を聞いて、わたしも悲しい気持ちになりました。


こんなに元気のないじいちゃんの顔を見たことがなかったからです。



 病院からの帰りの車の中でわたしは、じいちゃんが見にこられなくても、入院していてどこへも行くことができないじいちゃんのために、一生けん命太こをたたこうと思いました。


わたしの太こでじいちゃんに元気になってもらいたい、じいちゃんの心を明るくしてあげたいと思い始めました。



  中略

そして、ぼんおどりの日が来ました。



じいちゃん聞いててね。


わたしは、精いっぱいたたきました。



 ぼんおどりの次の日、お母さんとじいちゃんの病院に行きました。


お母さんがビデオをとっていてくれたので、じいちゃんにわたしの太こを見てもらいました。



 じいちゃんは、ビデオを見ながらすごく喜んでくれました。


 「ひかりは、すごい、すごい。」


と何度もほめてくれました。


ぼんおどりの曲の中に、じいちゃんも知っている曲があって、いっしょにビデオを見ながらリズムを取りました。


笑顔のじいちゃんを見ることができて、すごくうれしかったです。


じいちゃんが、前みたいに元気になったように思えました。




 数日後、じいちゃんは息を引き取りました。じいちゃんは、病気でつらいときもわたしが行くと笑顔でむかえてくれました。


わたしもじいちゃんのように、やさしくて強い人になりたいです。


そして、これからは、いろいろなことにちょう戦してみようと思います。



 大好きなじいちゃん、ありがとう。


わたしは、来年も太こをたたきます。


じいちゃんのことを思いながら。




゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚





 その当時のことは、よく覚えています。



 病院の駐車場で姉と姪と鉢合わせ、姉は今し方父に面会したのだという。


 もじもじしている姪と目を合わせた姉はビデオカメラを取り出し、モニターを見せて姪に説明させた。


 格好良く太鼓を叩いている姪の姿が映し出されたモニター。


 姪の照れた顔を見ながら、説明を受ける僕と家内。


 「今じいちゃんに見せてきた。」


 姪が誇らしく言った。



 病室で姉と姪との経緯を親父に話し、親父も見せてもらったって?と振る。


 「おお!ひかりの太鼓な!凄いな。」


 先ほどの誇らしげな姪の顔とオーバーラップする親父の笑顔。


 家族が想いを持ち寄る病室。


 タイムリミットを感じながら過ごす日々。



 今となっては、宝のような日々。


 親父は皆に愛されて幸せだったね。


 姪の文集は、仏壇に供えました。


 きっと親父は、何度も何度も読んでいるはず。


 闘病中も、姪はよく親父に手紙を書いていました。


 ひらがなだらけの手紙に僕が突っ込むと、


 「爺ちゃんにも読めるように・・・」


 爺ちゃんはちゃんと漢字も読めるんだぞ。



 でも、いつもありがとう。


 爺ちゃんは本当に幸せそうに、あなたの手紙を読んでいたよ。


 お手製のお守りも病室に飾っていたしね。


 ありがとう。




 さて、今日は凄い風ですね!


 四階事務所は時々揺れています!


 それでも本日も張り切って営業です!

(o^-‘)b

イェイ! 




親父の息子は親父になる。息子の親父は爺になる。

 皆さん、こんにちは!

 『東岡崎 明月』の藤原です!

 ココのところ痛切に感じるわけです。

 勉強不足。

 ちなみに、当藤原家は勉強しなさいとは言わない家でした。

 でも三人兄弟のうち、本当に勉強しなかったのは僕だけ。

 姉も弟も勉強熱心でした。

 子供の頃、成績の悪さから何度か学校呼び出しなんてありました。

 母がいない我が家は、親父が呼び出されるわけです。

 担任と三者で話し合い。

 とはいっても先生が話し、親父が笑って答える。僕は黙って下を向いたり、時々親父の返答に笑って返す。

 帰りしな、親父が真顔で僕に言う。

 「勉強はバカなやつがするもんだ」

 今にして思えば、勉強しろとは言わない、親父らしい言葉だよ。

 でも当時の僕は自分のバカさ加減すら分からない大バカ。

 額面どおりその言葉を捉えてた。

 勉強するやつはバカなんだって。

 何年か後に、その言葉の意味がやっと分かるようになったよ。

 僕はバカだから勉強しないと。

 片っ端から、とにかく何でも学び始めて、とにかく何でも良いから気になった本を読み漁り始めた頃、親父がボソッと言った。

 「少しくらい勉強したからって、知った風な顔をするな。」

 でもそう言っておいて、いつもは親父がしていたニュース解説を僕にさせて、そうかって頷いて聞くのが嬉しそうだった。

 バカなやつは学び続けろ。

 机上だけでは学びではない。

 結局こういうことが言いたかったんだね。

 僕は親父と違って、子供には勉強しなさいって言うよ。

 たくさんの教養を施して、あとは自分で選びなさいって言う。

 僕はたくさん恥じかき過ぎたし、できた方が良いってたくさん経験したし。

 僕の子は娘だしね。

 男なら恥は肥やしになるだろうけど、女の子はやっぱ何事も無くまっすぐに行ってくれたら良いと思うし。

 本当に勉強不足だよ。

 何だか、良く思い出すよ。

 親父の真顔と、「勉強はバカなやつがするもんだ」

 僕が家長だしね。

 一応、社長だしね。

 長たる者、学び続けないとね。

 頑張ります!

p(^-^)q

 さて、ちょっとセンチメンタルな火曜日!

 沸々とテンションが上がっています!

 さて、張り切っていきましょう!

(o^-‘)b

イェイ!