ローソクのようでありたい

投稿者: | 2013年4月9日

 皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 明月』の藤原です!
 今日は少しだけ早く仕込が終わり、社員の麻奈美ちゃんと散歩に出かけました。
 葉桜なんかを眺めながら、ブラブラと色々な話をしました。
 今までのことも、これからのことも、隠さず。
 お城で抹茶を飲みながら、ふとこんな話をを思い出していました。
南蔵院第二十三世住職、林覚乗さんの講話です。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
【お母さんの生きざま】
知里ちゃんが、母の優しい手に気付いたのは四年生のときだった。
母には義父にあたるおじいちゃんを病院に見舞ったときのことだ。
祖父七十二歳。 四年前に、がんセンターで大手術を受けた。
このごろ陶が苦しくて、さすってもらうようになっている。
「背中さすりましょうか」と母。
「すまんな。ああ気持ちいい」と祖父は目を閉じていた。
と、突然、苦しく吐きそうになる。
お父さん!だいじょうぶ口元にさっと母の手が差し出された。
「遠慮せずに吐いて。さあ早く」。
両手でおじいちゃんの吐いたものを受け取った。
知里ちゃんも思わず手を出し「おじいちゃん出して」。
帰り道、知里ちゃんは言う。
「普通ならごみ袋、ごみ袋って言うと思うの。お母さん偉い」。
家で父と話す。
「うん、お母さんには頭が下がる。実の親子でもなかなかできんね」。
母が言う。
「何が気持ち悪いの。お母さんが小さいとき、茜部(実家)のおばあちゃんも、おじいちゃんのおむつの世話してたのよ」。
父は母の手をぎゅっと握った。
知里ちゃんは言う。
「お母さんの手は世界で1番奇麗な手です」と。
『お母さんのやさしい手』という題で、知里ちゃんは、これを作文に書いています。
汚物が入った手は、目に見える世界では奇麗だとは言わない。
しかし、この女の子にはその手はお母さんの心を表した、大変奇麗なものに見えたのです。
こういうことをわかる人間でありたいと思います。
その上で、ひとのために尽くすときには、ローソクのようでありたい。
ローソクというのは、他のローソクに火を移しても、決して自分が暗くなることはないのです。
自分に与えられた命、炎をずっと燃やし続けていく。
周囲を明るくしながら、伝えながら。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 
 家内は家内にとっての義父、つまり僕の親父の余命に本当に良く付き合ってくれました。
 あるとき、トイレに間に合わずトイレとその周りを親父が汚してしまったときも家内は嫌がらずに床を拭いていました。
 それどころか、失敗してしまい、その苛立ちを怒りに変えてしまった親父に家内は諭しました。
 「私は義父さんのトイレの始末なんて汚いとは思わない。だから失敗しても笑っていて下さい。じゃないと家が暗くなって、その方が嫌です!」
 暗くなりがちだった我が家に灯った力強いともし火でした。
 その数ヵ月後、親父は入院することになり、余命宣告を受けました。
 正直に言えば、店の経営状態は最悪でした。
 親父のこともあり、本当に、僕は精神的にきつかった。
 働いている子たちの前では、そんなこと出さないでいよう。そう思っていても、やはり出ていたんでしょう。
 あるとき、社員の麻奈美ちゃんが僕に言いました。
「修司さん、大丈夫ですか?」
 経営者は孤独だと言いますが、僕は孤独ではありませんでした。
 そればかりか、麻奈美ちゃんは率先して呼び込みをはじめ、駅の入り口のほうまでその範囲を広げてくれました。
 僕の心にはまた力強いともし火が灯りました。
 抹茶を飲み、葉桜の向こうの青空を眺め、僕のローソクはともし火を移すことができているだろうかと考えた。
 消え入るまい。
 そんな風に思いました。
 今日を懸命に、今を素直に、周囲に感謝を。
 家内や麻奈美ちゃんからともされた炎を大切に灯そう。
 麻奈美ちゃん散歩に付き合ってくれてありがとね!
ヘ(゚∀゚*)ノ
 本日からまた、セクハラ・オーナーとして頑張ってゆく所存です!
(`∀´)
 ってなわけで、本日も変わり無く張り切っております!
(o^-‘)b
イェイ!
 どうやら僕のローソクは燃えやすいみたいです!
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