皆さん、こんにちは!
 『東岡崎 居酒屋明月』の藤原です!
 今日はネットで見つけたお話をシェア!
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『私は手のかからない子供だった』
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日 遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。
父兄同伴の遠足や運動会も、友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。
私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて
「会社休んで参観日に来て。」
なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。
小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。
遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろ
を歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、先生が来て、私と手をつない
で歩いてくれた。
いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙が前がよく見えないまま学校に着いた。
作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。
友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。
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 ほろりとしちゃいました。
 手の温もりってありますよね。
 オヤジが亡くなる半年くらい前、僕は風呂好きなオヤジを銭湯に誘いました。
 もう身体が随分悪くなっていたからオヤジは一緒に行くのを嫌がりました。
 でも僕がついてるからと言って、無理やりに連れ出しました。
 脱衣所ではさすがに、断固として自分で服を脱ぐと聞かなかった。
 僕は先に湯船で待っていたけど、あまりに遅いので結局迎えに行った。
 ちょうど脱ぎ終えた頃で、僕は恥ずかしがるオヤジの手を取り、湯船までエスコートした。
 本当に久しぶりに握ったオヤジの手だった。
 子供の頃はあんなに大きく、固く、強い手だったのが、小さく、柔らかく優しい手になっていた。
 湯船を渡り歩くあいだも、ずっとオヤジの手を握ってエスコートした。
 オヤジは何度も恥ずかしがったが、僕はもう子供に戻った気分でもあった。
 オヤジの手を取り、エスコートしている風を気取っても、実は甘えてオヤジの手にすがっているのは僕の方だった。
 翌日店のカウンターで嬉しそうにお客さんとオヤジが話をしていた。
 「息子の手を握ったのなんて何十年ぶりだろう」
 酒で頬を赤らめながら自慢げに話していた。
 オヤジが入院してからも、僕は毎日オヤジの手を握った。
 「握力ついたか見てやるよ」
 なんて言い訳じみながら、毎日オヤジの手を握るのが楽しみだった。
 オヤジもそれが嬉しかったみたいで、もう抵抗もせず、毎日力いっぱい僕の手を握った。
 すでにか細く、力なんて殆ど無い手だった。
 でもちゃんと温かかった。
 それだけで、いつも嬉しかった。
 オヤジの訃報に駆けつけてからも、僕はオヤジの手をずっと握っていた。
 命がこぼれ落ちるみたいに、温度を失ってゆくオヤジの手を、まるで蝋でできたみたいに硬くなってゆくオヤジの手をずっと握り続けた。
 なぜかいつも思い出すのは、若く力強いオヤジの手じゃなくて、汀の頃の柔らかいオヤジの手だ。
 おそらく、本当の意味で、温もりに縋ったのはその頃のオヤジの手だったかもしれない。
 今、僕は娘の手握っている。
 娘が眠りに就いている時、こっそり、優しく握り締める。

 小さいけど命に溢れ、可能性のある真っ赤な手。
 おそらく昔から、こうやって繋がれてきた温もりがあるのだと思う。
 いつまで握っていられるのかは分からないけれど、オヤジから受け継いだこの温もりを、娘に繋いで行けたら良いと思っている。
 なんて、またおセンチになっちゃった!
(/ω\)きゃ!
 ってなわけで、本日花の金曜日も力の限り張り切っているわけですよ!
(o^-‘)b
イェイ!

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