皆さん、おはようございます!

 『東岡崎 明月』の藤原です!

「褒められるようじゃ、まだまだだ」

 東岡崎明月前代表、藤原荘六の言葉です。

 今年最後の明月逸語は僕の親父の言葉で行きます!

 初めての就職。社会人になる直前。親元を離れる時に父が言いました。

「修司、いいか。よく覚えておけよ。褒められるようじゃ、まだまだだ。」

 この言葉ははじめ、褒められると大いに調子に乗ってしまう僕への戒めの言葉だとばかり思っていました。

 しかし、年を経るごとにこの言葉の深さを理解するようになってきました。

 僕が思うに、褒められることには三つの方向があります。

 まずは下から褒められること。

 これはオベンチャラ。したから自分は見えるはずがないので、これに喜ぶようではまだまだまだまだ。

 次は自分と同じ中段から褒められること。

 これは同情に他なりません。これで喜ぶのはまだまだまだ。

 最後に上から褒められること。

 これは完全に、まあ良くやりましたねって程度。これではまだまだ。

 だって上から褒められてるわけですから。

 つまり、褒められるようじゃ、まだまだ。

 本当に一流の人は褒められません。

 それを理解できる人がいないので、本当のところを褒められることがありません。

 例えば一流の経営者に、「すごいね。よくできました。」とは誰も言いません。

 そう言う意味で一流とは孤高です。

 孤高であろうとするのではなく、孤高なのです。

 もちろん、褒めて欲しい、理解して欲しいなどとも思わないでしょう。

 そう思った時点で三流ですもんね。

「褒められるようじゃ、まだまだだ。」

 この言葉の理解が少しだけで来た頃から褒められたいなんて思わなくなりました。

 褒められるより、喜ばれたい。

 そこに価値を置くことで、今のところ孤独は回避できているかな?

 なんて孤独を恐ることが、つまり僕が三流以下であることの証!

 ってなわけで、クリスマスも終わり、今度は正月への総まとめ!

 本日も“喜ばれたい”を軸に張り切って参りましょー!

(o^-‘)b

イェイ!

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